愛の形はひとそれぞれ
- 2016/10/11 20:52
- カテゴリー:海アテ(YGO)
表→闇であり海→闇であるとして、
遊戯の答えと海馬君の答えって
真逆なものだな、と思った。
ふたりともアテムに対しての想いは強くて、でも方向性…が違うのかな?
遊戯は、アテムのことを一番に考えて出した答えで、アテムもその意思を尊重している。
海馬君は、相手よりも自分がどう思うかを重点にしていて、アテムはその行動を受け入れている(そのあたりは私のドリームが入ってます。ごめんね)
それは、形が違えども、同じ相手を想う強い気持ちであって
二人がした行動と言動は違っているけど、強さは、さほど変わらないものなんだろうな。
別れることが正しいのか
追いかけることが正しいのかは
第三者が決めつけることじゃなくて、その本人の気の持ちようなのかな
でも、劇場版を見れば分かるのは
きっと遊戯も海馬も、間違っていないってことだ
正解も、間違いも、悪いも良いも、無いのかもしれない。
もし違う選択をしたとしても本当に大事なのは
その時の自分が「選んだ」という結果だから。
後悔、は似合わないし
遊戯も海馬もしていないし、これからもしないだろう。だから、いつだって前を見ている。
アテムは、あんなに意志が強そうに見えて、自らの選択となると、迷いがあるというか、そういう描写が少ないように感じる。
王様という立場は、人々に心を配るものだから、?だろうか。
誰かのために、それもたったひとりではなくて、大勢のために生きるんだもんな。そういう運命だ。だから、自分が武藤遊戯だと思ってた頃は、怖いものが無いみたいな顔をしていたのかも?
本来の性質自体は、そんな部分があったのかもしれない。
だからこそ海馬君の自分自身のために、我を通して突き進むあの強さは、アテムには無いものに見えて、そこがまた相反していて、面白い。
その逆もまた然り。
アテムの、人や仲間、友達を信じる、結束力を第一にする精神は、海馬君には無いものだから、海馬君は反発し、学ぶ。
もっと普通に、友達になれたなら…?
そこは、セトアテでやれることだろうな~。セトはそんなに敵対心持ってるわけじゃないから…。
そう考えると、古代編が三つ巴戦になっていたら
それはそれでかなり熱い展開が待ち受けていたんだろうな…
漫画にできなくても、構想とか、展開とかちょっと知りたいね
いつか聞くことが出来るだろーか…