星のこども
あれ?先週は時間があるんじゃなかったのか…?
なんだかんだで家にいる時間がほとんど無いので結果なんもしてねえってなってる……あとパソコンが変な音だしてる。こわい。
それはそうで、いいとして。
手元にある「星の王子さま」をなんとなく読んでいると、
本文前の献辞(誰々に捧げる~)「レオン・ウェルトに」の一文の最後
「大人は誰でも元は子供だった(そのことを覚えている人は少ないのだけれど)。だから、ぼくはこの献辞をこう書き換えよう――
小さな男の子だった時の
レオン・ウェルトに」
この短い文章に突然泣けてきてしまった。
と、同時に、海馬くんのことを考えたのだった。
ま~~~~どうしてか私は、幼少期を不遇に過ごしているキャラクター・あるいは人間に惹かれる。弱いとも言う。感情移入してしまう。(私もなかなかアレでそれな子ども時代を送っていたので(これを書くのもどうなの?って思うけど、まあええやん?))
海馬くんといい、ディオといい…ふぅ~~~~~~~~~~
頭の中で流れるのはイエモンのJAMです。
「あの偉い発明家も凶悪な犯罪者もみんな昔子供だってね」
子ども。
赤ちゃん。
命。
なんなんでしょうな。この感情は……。母性とは違うとおもう。
人間として当たり前にある感情なんでしょうかね。
それを文章化できないうちは、まだまだ未熟者ってことやね。
(よく友人に言われるのは、「小説を書いてるわりに言葉が出て来なさ過ぎでしょ」である…)
子ども、赤ん坊、
命
愛されて、望まれてほしいものです。
物心つく前までは、ただただ愛情を注がれていてほしいなあ、と
たとえ架空の人物であってもそう思わずには、願わずにはいられない。
子どもが辛い思いや苦労をしていたり、罪に手を染めるのを見るのは、しんどいっすわ。
劇場版を初めて見たあと、夕食を友達ととりながら
遊戯王について、海馬くんについて教えてもらっていて
海馬くんの生い立ちや立場をざっくり聞いて
「これ絶対好きになっちゃうな」とぼんやり思ったもんですが
案の上、そうでしたね。
すべての人間に救いがあるほど、世界が慈悲に満ちているわけじゃない。
そうであると知っているから、祈る。
ン~、なんだろうな。何が言いたいのだろうか…。
たとえ大人になっても、姿かたち、そして心が成長したとしても
大人の中には小さな子供がいて
変わらずに在るものなのかもしれない。
人によっては、その子供と上手にさよならが出来る人もいれば
ずっと手を繋いだままの人
閉じ込める人
虐める人
無視をする人
さまざまだと思う。
海馬くんは、どうだろうか。
私は、子どもがいた場所から引き離された子だと思っているから、
心の遠い場所に居るんじゃないかな、と考えている。
必ず居て、存在は感じるけど、ずっと遠い場所に離れている状態。
本当の孤独になれた時にだけ、目に見えるのかもしれない。
本当の孤独っていうのは、きっと海馬君が宇宙へと渡った時で、
あらゆる意味で、独りになった時のこと。
海馬くんの心にいる小さな男の子を、抱きしめてあげるのは
アテムなんだよなあ。
抱きしめてあげるし、時に叱りつけてくれる。(原作では愛の鞭ね)
そりゃあ「ママー!」ってなります。なりますわな。そうでんがな。
反対に、アテムを玉座から引きずりおろして
ひとりの男の子に戻すのもまた、海馬くんなのだな。
わずらわしい、何もかもを捨て去って、
ひとりひとりの男の子として、少年として、向き合って、遊んでいられるのは
すごく幸せだ。
私はこどものころカードゲームはトランプとかウノくらいしかやってなかったけどw
ふとゲームをして遊んでた頃を思い出した。
今でもゲームはするけど、子どもの頃とは違うからあの時の気持ちを忘れている気がした。
きっと海馬くんとアテムは、全然変わらない気持ちで(物語上では命をかけたりして、キャッキャウフフな遊びの気持ちではないかもしれないけど)
楽しめるのだろう。
その世界がすべてだった頃のように。
アダルトチルドレン、なんでしょうな。
そうでない人のほうが今は少ないのかなと思ったり思わなかったり。
病んでない人間のほうがマイノリティ。
誰しも何かしら闇はありますな。大なり小なり…。