おとこのこのあこがれ
- 2017/11/09 01:34
- カテゴリー:海アテ(YGO)
某youtuberとか某俳優とか、
子どもでも大人でも、男の子がしたくなる格好のひとつである
海馬社長のコスチューム
コスチュームプレイというのは、
その「格好」自体がしたい場合と
その「キャラクター」自体になりきりたい場合があるんじゃないか?
格好自体の場合は、制服とかのことだ。職業なり、学生服なり。
海馬くんの格好の場合は、後者なのだろう。
服装だけ見ると、不思議な格好ですよね。
特徴的なコートを脱ぐと、サイバー感あふれるスタイルに見えます。そしてさりげないボンデージアイテム。(腕脚のベルト拘束)
対比なのかもしれないけど、何気に闇遊戯の格好とお揃い感あるんですよね…。
中に着てるインナーも、ちょっとラバースーツっぽく見えるから、SM風に見えるのかも…。
極端に少ない肌の露出も、ポイント高いです。露出していないのにボディラインはくっきりして見えるので、セクシーに感じるのだろう。
海馬くん自体が、作品にとってのアイコン的存在である。
彼は非常に目立つのである。
そして、「なりきり」要素もとても強い。言動と性格が強烈なイメージがあり、その人になりきる、となると、普段しない言葉づかいとポージングが可能である。それは、おそらく男児的変身願望をかなえてくれるものだろう。
強い存在こそが正義というシンプルな憧れが、満たされるものである。
イメージカラーはブルー、またはホワイト
イメージモンスターは、ドラゴン
以前もこのブログで書いたんですけど
海馬クンの存在自体が、男児的羨望をぎゅぎゅっと凝縮された、
男の子の夢なのである。
そこを何故、遊戯(王様)にあてはめなかったのか、というのは
主人公のライバルだからこそ
カッコイイと思うものが集まっているのかもしれない。
主人公は愛される要素が多い造形にされることが多い。
愛される要素は、完璧よりも不完全が求められる(場合がある)
不完全であることにより、感情移入、そして共感、応援に繋がる。
少年漫画の主人公は、作品の内容やジャンルにもよるけど
「大柄な男性」ではなく、「小柄な少年」であるパターンが、有名作、名作に多いのではないか?
作中の経過で、成長する、という話も含め
初期段階では、小さい、無力、でなければいけない。成長する主人公は、王道だが、欠かせないものだ。
人間とは、何かを育てることに喜びを感じる生き物だからである。
故に主人公に対する相手、ライバルとは、反対の要素を含めている者が多いのだろう。
だから海馬君は、主人公にないものを持ち、且つ男児的憧れの集合体でなければいけないものだ。
そしてかつての少年の憧れだった存在が、大人になった「男」にとって変わらぬ夢として在り続けること。
これは、凄いことなのでは?
地味に感動している。
毎度のことながら、私の長々とした話だ。
言いたい事?
んなこと決まってらぁ!!
あ~~~~~~~!!海馬くんカッコイイ!
攻め!!
男の子や男性に憧れられる海馬瀬人マジかっけーー!!すげー!!
海アテしゅごーい!!!
これに尽きます。