花さかせお兄さん
- 2015/11/08 22:11
習作
生まれつきの波紋使いのジョナサンは、無意識のうちにその力を利用していた。
たとえば、父親の体調が悪くなると、「手当」だと言って背中をさすった。すると、父親の体温は上がりみるみるうちに回復していった。
執事の老人が腰を悪くしたと言えば、父親にするのと同じようにジョナサンはその手の平で腰を撫でた。
執事は、初めこそ「まるで息子に看病されているようです」と嬉しそうに言っていた。だが、だんだんと悪い場所が良くなっていくのを身をもって実感し、ジョナサンの不思議な力を恐れた。
「ぼっちゃまは、神の使いか何かかもしれない」
執事は、幼いジョナサンが無邪気に使いこなす力が、世間に知られるのを心配した。
「いいかい、ジョジョ。ジョジョのこの手は魔法がかかってる。その魔法は誰かを助ける力にもなるし、自分を滅ぼす呪いにもなる」
「とうさん…でも、ぼくは」
「ああ、ジョジョ……おまえはちっとも悪くはない。むしろ天使のような子だ。だからこそ、私は怖いんだよ……、お願いだから、言うことを聞いておくれ」
「はい、とうさん……」
小さな子どもは、よかれと思ってその力を使っていた。
みんなが喜んでくれると思っていた。
みんなの為になると思っていた。
何より、父親に褒めてもらいたかった。
それなのに、全ては真逆の結果となった。
父は悲しみ、父は恐れ、皆は不安そうに自分を見るのだった。
笑ってくれるのだと疑わなかった。みんなが幸せになれると信じていたのだった。
ジョナサンは、人に力を使うことを封印した。
それでも、時々、庭にある元気のない木に手をかざしてゆっくりと深呼吸をし、体内で力を練った。
ほんの僅かに、手の平から力を放出すると、木がほんのりと温まる。
そして、木の緑の葉が生き生きとした色に変わっていくのだった。
少年は一月に一度、確かめるように行った。
青年は一年に一度、忘れないために続けていた。
そしてジョナサンは何事もなく、平和に過ごし、父や祖父も通っていたヒュー・ハドソンへと進んだ。
大学では寮生活を望んだ。父親は、反対していたが、数年だけでも親元を離れて暮らしてみたかったのだ。
十九の春だった。
寮生活にも慣れた頃、ジョナサンは一年に一度の儀式を思い出した。
花が咲く季節になると、自然とその力について頭がいっぱいになる。
本当は、そんな力なんて自分には無くて、ただの夢だったかもしれない。幻を見ていたのかもしれない。そんな風に思うこともあった。
ジョナサンは、校内の人気のない場所を探した。
大きな本校舎の影になっている、暗くて陽のあたらなそうな場所に、木々がひっそりと植えられている。
「やあ」
ジョナサンはその木の中でもやせ細った一本に声をかけた。
「元気かい」
木は答えるはずもない。ただ、風に飛ばされないようにと根をしっかりと地面にはるので精一杯といった所だ。
「君だって、きっと綺麗な花が咲くんだろうね」
ジョナサンは木の枝と握手をするように握った。
息を吐ききり、そして口を大きく開けて空気を吸い込んだ。
そして意識を高め、ジョナサンは手の平に集中する。
この感覚は、本当に奇妙だった。体の奥で生まれた新たな力が呼吸によって、らせん状に渦を巻く。そしてその渦はやがて波紋になって広がり、次第に大きくなっていく。力が最大限にまでなるその瞬間、ジョナサンは目を開き、息を止めた。
そして、木に対して力を一気に送り込む。
外気に触れた時、閃光が弾け飛ぶ。
「……ああ……、ほら」
木は音もなく静かに成長していった。若い芽がつき、膨らみ、花が咲く。
白い花がジョナサンの頭上に、目一杯咲き乱れた。
甘い香りを放ちながら、花は喜ぶように花びらを揺らした。ジョナサンに語りかけるように、そっと抱きしめるように、葉や緑がジョナサンの肩に触れた。
「綺麗だね」
ディオ・ブランドーは、成績もトップで、所属している部活動の中でも一目置かれる選手として活躍していた。最上級生になる頃には、間違いなく学校を代表とする生徒になるだろうと、自負し、他者も認めていた。
そんなディオにとって、学内の人物はみな同じ顔に見えていた。どの人間もつまらない。優れた自分にとって、有益になる人間が居ないと思っていた。
部活の仲間も、そうだった。彼は、部活動以外の付き合いはほとんどせず、チームプレイが重要視されるラグビーでも、いつだって個人主義のスタイルを貫いていた。それでも、彼の功績によって、チームは順調に勝ちを掴んでいったので、誰も文句がつけられなかった。そんな性格と行動をしているのにも関わらず、ディオを嫌うものはいなかった。憎まれることはあっても、それは憧れの裏返しのようなもので、ディオは良い意味でも悪い意味でも愛されていた。
けれど、ディオは誰にも関心がなかった。興味も無かったのだった。
彼もまた、校内で人気のない場所を求めていた。
堅苦しい寮生活の中で、孤独に浸れる場所を探すのは、彼にとって日常だった。
最近は、気に入りのスポットがあった。
本校舎の裏にある、古びたベンチだった。
おそらく、不要になったものだろう。塗料は剥がれ、風雨にさらされ続けた為に今にも崩れそうなほどに痛んでいた。
それでも構わなかった。静寂が恋しかったのだ。
今日もまた、その場所へとディオは足を運ぶ。何かと「付き合い」をすすめてくる上級生や、異様に慕ってくる下級生、自分たちの仲間に引き入れたい同級生を振り切り、ディオは足早に校庭を進む。
しかし、久々の晴天の元、外には学生が多かった。
邪魔な生徒達の間を縫い、ディオは何か良からぬ予感を抱えながら、校舎裏にたどり着いた。
そしてディオは目撃した。
木に語りかける、妖精のような人間。
いや、ただの大男だ。名前は知らない。ただ見たことがあるような気はする。髪は癖のある黒髪。背はかなり高い。
「何だ、気違いか?」
ディオは口が悪かった。差別的表現も、平気で口にするようなタイプだった。
「…………ぼくは、……けど……」
ディオは堂々とその様子を眺めていた。隠れる必要は無いと思った。それに、大男は木に夢中でディオの存在に気づいていない。
「……君は……だ」
何か囁くように話、それから男は木に抱きついてキスをしていた。
「……はあ?」
思わずディオは顔を歪めて、まさに意味が分からんというため息を漏らした。
すると、男――ジョナサン――は、すぐにディオのいる方向に体ごと向けて、しっかと目を見開いて硬直していた。
「……君は……ディオ・ブランドー……ッ!」
ディオはその場に仁王立ちをしていた。自分の名が知れていることくらい分かっている。他人が自分の名前を呼ぶのは慣れていたので、何の疑問も持たなかった。
「ここで何をしている」
ディオは不快感を表したままの目つきでジョナサンに問い質した。
「ぼくは……その、ええと」
「いや、その前に、……おまえ、人間か?」
ディオはジョナサンのことを知らなかった。ここの学生かどうかすらよりも、果たして”人”であるかどうかの方が重要だった。
「ぼくのこと……もしかして覚えてないのかい……」
ジョナサンはほっとしたような、落ち込むような気分で尋ねてみた。
「会ったことあったか?」
ディオは腕を組みながら、未だ皺のよった眉間をきつくさせたままだった。
「ほとんど毎日、顔を合わせてる……はずなんだけど」
「ルームメイト……ではないし……」
ディオにもルームメイトはいる。四人部屋なので、三人はいるはずなのだが、こんな背の大きな黒髪は居なかったはずだ。ディオは脳内のリストにチェックマークをつけた。
「ジョナサン・ジョースター。クラスメイトで、同じ部活なんだけど」
「そう……だったか?」
遠慮がちにジョナサンが告げると、ディオはチェックリストを頭の中に浮かべる。クラスメイトは多すぎるし、部活のメンバーも記憶は朧気だった。
クラスには黒髪は何人もいるし、ラグビー部は背の高い体の大きな男ばかりだ。
クラスメイトの黒髪を浮かべつつ、ラグビー部の黒髪を数えてみる。
すると、何となくディオの中でジョナサンという人物が一致した。
ディオは目を細めながら、ジョナサンに近づいていった。
「グリーンの入ったブルーアイか」
ディオは脳内のリストにジョナサンという項目を作り、特徴に書き込んでいった。
「生憎、人の顔を覚えられない質でね」
まじまじとディオはジョナサンの顔を見つめた。
「人嫌いの孤高の天才……って、みんな君のことそう呼んでるよ」
「へえ……そりゃあ有り難い。何一つ間違っちゃいないよ。孤高! まさにこのディオに相応しい。天才! 最高だね。……ただ人嫌いってのは、違うな」
ディオはジョナサンの目の前に立った。誰かと顔を見合わせて話すのはいつぶりだろうか。しかも自分よりも背が高いらしい。首が上を向く。
「このディオが興味を持てるような人間がここには居ないだけのことよ」
ジョナサンは、初めてあのディオと話しているのだと意識すると、何故だか緊張してくるのだった。
ただの同じ年の男じゃあないか。それなのに、こんな風に変に汗をかくなんて、おかしい。ジョナサンは近づきすぎているディオから離れようと一歩後ろに下がった。
「そうかい。それじゃあ、ぼくのことだって知らなくて当然だったよね……じゃあ、ぼくはこれで」
どうしてこんなにも動悸がするのか、ジョナサンには理由が分かった。報われなかった初恋の相手が、目の前にいるディオと同じ金髪で碧眼だったからだ。そして何より、美形だ。今まで遠くからしか眺めたことのなかった相手だった。本物の美人というものは性別問わず、人を惑わす魅力があるものだ。その所為でジョナサンは妙にぎくしゃくとした。
「待て」
ディオは顔に似合っているとても通る美しい声で、ジョナサンを引き留めた。ジョナサンの進行方向を塞ぐ形で腕が木に触れる。
ジョナサンの真後ろには、あの木が立っていた。ディオは、違和感をもった。木の表面がほのかに温かい。それに、昨日まで枯れ木同然だったはずの木が瑞々しい緑の葉をつけている上に、見事な花まで咲かせている。
「おまえは……何ものだ?」
ジョナサンは先ほどまでとは違ったディオの目つきに息を呑んだ。
前の質問は、純粋な問いかけであり、ディオにとっての「誰」かという質問だった。今のは違う意味を持っている。
ディオは後ろの木を見て、ジョナサンの正体を明かそうとしているのだった。
「……言っただろう? ぼくは君のクラスメイトで、ラグビー部の仲間の」
「しらばっくれるつもりか? おれが訊いてるのは、そうじゃあない」
ジョナサンは更に汗をかいた。どうしよう。どうしたらいいんだろう。
もっとちゃんと父親の言うことをきいておけば良かった。誰かに知られることが怖いことだと、分かっていたのに。
よりによって、彼に知られてしまうなんて。
「奇術? まじない? それとも、マジックショー……そんなわけないよなあ、ジョジョ」
「あだ名……知ってたのかい……」
「おれの頭の中には膨大な量の情報が入ってる。不必要な記憶は仕舞っておくだけだ。今、おれの中で君についての資料を引っ張り出してきただけだ。全生徒の名前、ニックネーム、誰と仲がいいか、成績、部活動、お望みなら、どんな奴のプロフィールだってこの場で言ってみせよう……。なあ、ジョジョ教えてくれよ、君が一体何もので、今君が何をしていたか!?」
「……ッ!? ディ……オ」
ディオはもう片方の手を木に打ち付けるようにして、ジョナサンを囲い込んだ。ジョナサンは驚きのあまり身を竦めた。
「妙なことをしていたよなァ……こうやって……木を恋人のようにして抱きしめて……」
ジョナサンは出来るだけ彼を刺激しないよう、大人しくしていた。ディオは、先ほどのジョナサンの動作を真似て、顔を近づけてくる。
「それからぶつぶつ囁いていた。この木に何を言っていた?」
「何も……ッ、独り言だよ」
「そうかい……? それから……」
ディオは木ごとジョナサンをきつく抱きしめる。
「こんなことまで」
「う……ッ! うわあああっ」
唇が近づいてきて、ジョナサンは思わず叫び声を発していた。それから、ディオの胸を押して、彼を転ばせてしまった。
「……痛いじゃあないか……」
「す、すまない……でも、君が……へ、変なことしようとしてたから……ッ」
ジョナサンはほとんど混乱状態だった。涙が出そうになってしまって、自分の頬を叩いた。
「君のせいで手から血が出た」
転んだ際に両手で地面を打ったディオは、皮がめくれて血が滲んだ手の平をジョナサンに見せつけた。地面に座り込んだままで訴えてくる。
「ごめん……このことについては、申し訳ない」
ジョナサンは膝をついて、ディオの手を持った。手には、まだ波紋の力が残っていた。
「……んっ……何……ッ」
ジョナサンがディオの両手を持った時、光を放った。傷口はディオの目の前で元に皮膚に戻り、わずかに流れた血の跡だけが残った。
「あ……っ……あ」
ジョナサンはすぐに手を放したが、ディオはそれを許さなかった。
「おい……傷が治ったぞ。おまえ、この木も、おれの手にも何をした?」
「何もしてない! 何も……何もしていない。ぼくは……ぼくは、何にもしていないったら……ッ!」
「何故、そんなに頑なになる? おい、こっちを向け、ジョジョ」
どうにかしてディオの手を外そうと暴れるうちに、ジョナサンは地面に倒れ込んでしまった。
その身の上に覆い被さるようにして、ディオはわめくジョナサンを押さえ付けた。
「してない……ぼくは、何にも悪いことはしてないよ……」
少年のような無垢な瞳をして、ジョナサンは涙を流し始めた。
「……良いことだって思ったから、みんなのためになると思ってただけなんだよ……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……怒らないで」
「怒ってない」
急に泣きじゃくり始めたジョナサンに、ディオはどう対応していいものか悩み、ひとまず手を離した。
「怒ってるよ……顔が怖い」
「元々こういう顔つきなんだ。慣れろ」
涙を手の甲で拭いながら、ジョナサンはゆっくり起き上がった。ディオは人を慰める方法を知らなかった。
「おれは訊いただけだろ。何も泣くことはないじゃあないか。これじゃあおれがおまえを虐めてるみたいだ」
「ごめん」
「謝るな。そういう所が虐めてるみたいだと言ってるんだ!」
「ご……いや、……うん」
冷静さを取り戻すと、ジョナサンは顔が赤くなってきた。まともに会話すらしたことのなかった人物に、友人や家族にも滅多に見せない泣き顔を晒したのが甚く恥ずかしかった。
「おまえって忙しいな」
「……え? ぼくが?」
「泣いたり赤くなったり、馬鹿ってみんなそうなのか」
「どうかな……泣いたり赤くなってるのは、君の所為だと思うけど」
あまりに簡単に罵倒されたので、ジョナサンはディオに対して遠慮するのはやめた。
「だって、そうだろ。馬鹿はおれの顔を見て赤くなったり泣いたりするもんだ」
「……みんな君のこと好きなんだよ」
校内でディオに憧れる人間は大勢いる。もしかしなくても、全生徒がそうかもしれない。
生徒だけではない。教師だって、校内で働く職員や、パンを売りにくる娘だってそうだろうし、街に出れば誰もが魅了されるだろう。
ジョナサンはどうだろうか。
同じクラスにいても、同じ部活であっても、彼をこんなにも意識したことは今まで無かった。
別の世界の人間としか思えなくて、きっと関わりを持つことはないのだろうと決めつけていた。
「……ジョジョ、おまえもか?」
ディオは真っ直ぐにジョナサンに尋ねてきた。
相変わらず、何の感情も映し出さない目をしていて、唇も最低限の動きしか見せない。
「君を……ぼくが?」
「そうだ。おれの所為で赤くなったり泣いたりしてる。おまえは言っただろう、それは『おれのことを好きだから』と。なら、おまえもおれが好きなのか?」
「ち、違うよ! 君のこと好きなみんなは、こうやって話したり、何かあってそうなるわけじゃあないだろう? ぼくは君に変なことされたからそうなったわけで、君のことが好きだからじゃあないよ!」
ディオはジョナサンの顔を瞬きもせずに、きょとんとして見つめたまま動かなかった。
「……おれは今、非常に傷付いている」
「へ、……えっ?」
「おまえに、好きじゃあないと言われて、こんなにも不愉快になるとは思わなかった。その事実に傷付いている。こんなこと初めてだ」
「へ、へえ……そうなんだ。それは、本当……びっくりしただろうね」
「ああ、顔には出て無いがな」
ディオの言うとおり、表情の変化は乏しかった。ジョナサンの方が、目を真ん丸くさせている程だった。
「そうか。おれのことが好きじゃあないから、キスを嫌がったんだな。……つまり、このディオよりも、あの木のほうがジョジョは好きということになる」
「……いや、待ってくれ、ディオ。君が何を言いたいのか、ぼくにはちっとも」
「そうだろう? ジョジョはあの木にキスしていたな。おれは向こうで見ていたんだ。今までおれのキスを拒んだ奴は居なかったぞ。男も、女もだ」
「それは、そうなのかもしれないけど、それがぼくに何の関係があって……いや、待ってくれ、ディオ。ぼくたちは一体何を問題にしてるんだい!?」
「そんなことはどうでもいい。おれは、おれを否定する奴が許せんのだ。おれを拒むな! 受け入れろ、ジョジョ!!」
「う、うわああああッ!!??」
再び、ジョナサンは押し倒され、ディオは半ば強引に唇を奪っていった。
――
何の話やねん?