私のかんがえる男同士のセックスとは
- 2016/10/29 03:05
- カテゴリー:海アテ(YGO)
タイトル通りです。
バタイユの話が若干続くんですけど
エロティシズムが、生殖を伴わない性行為というなら
同性愛の性行為は、全てが快楽、全てが娯楽、となる。
男女間であってもただの快楽と娯楽としての行為はあるわけだ。
海闇におけるセックスとは、なんぞ?
「相手を知るための究極の手段」
としての行為がひとつ。
妄想の中では、いくらでも関係が「恋愛」に発展していても
根本にある、海馬瀬人とアテム(闇遊戯)の、人格や生命そのものは、変わりようがないので、理由はそうなるのだった。
好き
愛
それらの感情が確かに彼らの中に芽生えていて存在していても、きっと言葉として、現れることは無いのかもしれない。
代わりに、口づけをしたり、触れ合ったり抱き合ったりするのかもしれない。
そこに確かに「愛」はある、と思えていても
お互いを縛る言葉にはしない……のかもしれない。
言葉にして、行動をして、表現をしてみせて、
全身で表して、愛を、愛で、愛することを、躊躇うな、戸惑うな、恥らうな!
と、正義を掲げるのは、それは、間違っちゃいないんだ。
でも海馬君と王様には、それは合っていないような気がしている。
私もなんでここまで、海闇に対して頑ななまでに、恋、愛を使わないようにしているのか謎なんだけど
それは、勝手な考えとして彼らに「合わない」と決めつけているからなんだろう
それが「ぼくのかんがえるさいきょうでさいこうの」海闇ってことだ。
でも、恋愛脳の女子のねんころは
好きだと言ってほしい、愛してると言ってほしい、ふたりの合言葉はビッグラブ……とつぶやいている。
好きだと思っていて、愛おしいと感じていて
誰かを好きになる事の素晴らしさを、全身で受け取っていて欲しい。
そして幸せになっていてほしいのだった。
恋の成就が、ハッピーエンドなのだろうか。
ハッピーエンドを迎えたその先が本番なんじゃないか?
好きだ!
オレも!
の、その後に待ち受けていることが、大事なんじゃないのか。
一緒の方向を見て、歩いていくことの困難さを、乗り越えていくから強くなれると……
そうだよ。結婚は簡単。続けるのが大変。だから離婚率は高いんじゃないか。
でもやっぱり海闇は向かい合っていて欲しいもんだと思う。
お互いを見ながらも先を行くような関係なんじゃないかな
隣にいながらも、どちらかが道をいつも示していて
ふたりで競い合って走っていくものなんだろう
だから既存の形には嵌らなくていいんだよね
普通の道なんて選ばないから、海馬瀬人……予想をはるかにこえて突き進む男よ……好きです。
彼の生き様こそがドラマだ
そしてその生きる道には、アテムがいなければ、完成しないのだ
ああ、海闇のロード……