男のツンデレ、ヤンデレって、あんまり見ないなぁ?たまたまそういうものを選んでないだけかも?
ある漫画を読んでいて、大好き過ぎて大嫌い、というの一文を見て
なるほど、それも一理あるな。と考えました。
海アテの話です。
海馬くんの生い立ち、思春期における環境の劣悪さは、よ~~く分かっております。
彼のそういった歪みや闇は、精神が揺らげば簡単に顔を出すものだと思う。
例に出せば、劇場版ってことです。
アテムは海馬くんの精神安定剤。
精神安定剤というと聞こえはいいですけど
よしよし、いいこいいこしてくれる人って意味ではないです。
海馬くんにとっては、甘やかす、癒しの対象ではなくて、
あくまでライバル、好敵手、向かっていく相手、闘う対象という意味での安定剤。
なんとなく、燃え尽き症候群に近いものを感じる。
やりがいとか目標を無くすとダメになってしまう?みたいな。
生きる意味、生かす意味。戦う理由、死ぬ理由…※
海馬くんにとって過去は完全に乗り越えたものとして扱われるけれど
人の精神や心の問題は、そう易々とはいかない。と、個人的には思う。
特に幼少期から、少年期に影響を受けている経験は
ボディブローのようにじわじわと効いてくるもの、なのではないか。
大人になった時、完全に忘れたと本人が自覚していたとしても
知らぬ内にどこかしらに傷が残っていて、それが大人の自分にとって行動、問題に過去の体験が影響を及ぼしてくる。
100パーセント必ず起きるとは限らないが、そうとは言えない。時計のない時限爆弾のようなもの。
でもそうなったとしても、ダメになる、おかしくなってしまう、悪い、とは言い切れない。
傷のない人間なんてこの世にはいないわけで、大なり小なり誰しも問題を抱えている。
挫けた時、落ち込んだ時、辛い時に、立ち直るために支えてくれる人がいるか、どうかが肝心になってくるのではないか?
家族。両親、兄弟が毒だった場合は、新しい自分の家族や友人がいてくれるか。孤独だとしても、何か自分の心の支えになるものがあるか。
海馬くんにとって、仕事であったり、モクバであったり、決闘であったり、
そしてアテムであったりするのだろう。その中におけるアテムの比率が異様なまでに高かった、ということだ。せやねんな。
大好き過ぎて大嫌い、とは、
その人の事が好き過ぎるあまりに、素直になりきれない気持ちに歪みが生じて、逆の感情を産みだすことにより精神の安定をはかっている?
素直になりきれない、というのは
好きの感情に対して、何かブレーキがかかる体験があったのではないか。
自分が好きになると、好きな対象(人、もの、事柄、ETC)に不幸が訪れる、不遇な目に遭う
素直な好きを表現した際に、無下にされた。或いはひどく傷つけられた。
自己肯定感の低さ(自分「なんか」が好きになったら迷惑…等)
好きの感情が自己中心的であり、対象人物が自分と同等あるいは自分以上に思ってくれないと不満である
理由、原因はいくらでも挙げられます。
海馬くんの場合はどうでしょうか。
男同士ですし、自分の敵と認定しています。その想いの強さが好意として捉えられることを不服としているように見えます。
王様から「友」として扱われるのもまた嫌悪感を示しているように見えます。(実際の所は、お互いに友情を感じているのは明白ですが)
城之内くんと遊戯、遊戯とアテムのように、健康的かつ、明快な関係だけが「友」とは限りません。
もちろん、そういった目に見えるわかりやすいものが、普通とされているので、現実的に友達というのは、そんな関係性が理想であり、一般的でもあります。
私の友達だってそういう関係の人ですし。
おそらく、海馬くんにとって、友情、友というのは、王様の考える(一般的な)友情とは、意味や捉え方が違っていたからこそ
認定をうけるのが嫌だったのか?
常に「生きる」ことが戦いだった人間からすれば、手を繋いでノホホンと暮らしている人間と仲良くは出来ない、と考えるのも納得です。
そして、海馬くんから見たら手を繋いでノホホンとしているように見えるような人達にも、戦いはあります。
視方を変えたら、確かにアテムの考えは生ぬるい理論にも思えるものです。でも、彼は王様といっても、少年であり
少年だけど、王様だから、その考えなのだろう。
皆を繋ぐ人である。
生まれながらにして王の血を継ぐ者としての精神が見えます。
王様という立場が私にはなかなかわかりづらいものがあるので、なんとなく近いものとしていつも考えるのは「天皇」という存在です。
(同じではないやんけ!というツッコミは置いといて)
今上天皇の高校生のエピソードなんかを見ると
同級生たちと一緒にいた時、友達の前では年相応にはしゃいでいたのが
他人の前では、がらっと顔つきが変わり
「皇太子」としての立場をわきまえた態度に変わった、
というのを読み
ひとりの人間としての姿と、皇太子としての立場
生まれた時から運命づけられている…とは
一般庶民からすれば、とても窮屈に思えます。
海馬くんも似た教育(帝王学)を受けていたと思われる。
でもそれは王様の考えとは違う、真逆の支配と戦略の知識だったんじゃないかな。
結束とは正反対。
信じれば裏切られる。
好きになれば利用される。
隙を見せれば撃たれる。
そんなギリギリの生活してたら、誰だって目の色が死んでしまうよ…。
真っ直ぐに、自分とは真反対の考えをぶつけてくる人間がいたら、反抗して、自分が正しいのだと示してやりたいと思うだろう。
それが道徳的に間違いか正しいのかは、さておき。
アテムの思考も、海馬くんの思考も、私個人では、どちらにも良さと悪さがあると思います。
アテムは理想論すぎる部分もあるし、海馬くんは現実的でもあると言える。
どちらが、完璧に正しいとは言い切れない。
なんか色々考えてたら、まとまらなくなってきた。
一旦保留します…