エロへの意識
小説でも漫画でも、創作における感情移入先は、
どっちの視点にもなる。受けの気持ちにも攻めの気持ちにも入り込むものである。
露伴先生リスペクト(ジョジョ)ってわけじゃないけど
リアリティはそれなりに必要だと思っている
しかし、私にはチンチンがない。
ちんちんが無いから、どうやったって、攻めの挿入の気持ちはなかなか難しいものがある。
むかし、何かの本で読んだ「女性が射精後の感覚を知るに手っ取り早い方法は、手首をぎゅっと締め付けて、しばらく血を止める。その手を放した時に血が通う感覚が射精後に近いもの」らしい。
昔読んだ本なんでね、最新の情報は知らんとです。
以前の創作から考えると、
どっちかっていうなら、攻めの気持ちになっていることの方が多いかもしれない。
なんでかっていうと、攻めたいからである。受けを責めたいのである。
どうしたってエロというのは、攻められる方がメインになるものだ。
カップリングは平等であり、対等であることを信念に掲げている私にとっては、攻めが受けのサービスマンになるのも嫌だ。
受けだって男だ。
男ならやられっぱなしじゃなくて、受けでも責めたっていいし、
お互いの協力あってのセックスだ。
受けがアンアンしてばかりで、何にもしないマグロっていうのは、何だかなあ(あとーかい)ってなってしまう。
(これらに関しての見解は、暴言のオンパレードになるので、省略したいと思います)
一次だろうと、二次だろうと、創作において大事なのは想像することなのだろう。
リアリティの件で
ちんちんが無いから、書けない、難しいっていうのは
まったく理由にならないのだった。
そんなこと言ったら、世のミステリー、ホラー、ファンタジー、時代もの、ありとあらゆる創作物を書いている人々はどうなるっていうんだ?
人を殺した人間にしかミステリーやサスペンスは書けないのか?
妖精や人魚に会ったことが無ければファンタジーや童話は書けないのか?
実際にその時代、国に行ったことが無ければ、時代ものは書けないのか?
答えは、否、ですよね
だったら、ちんちんが無くたって、自分が女であったっていいものです。
必要なのは考えて想像していくことと、知見を広げることだと思います。
初めて海馬君が王様のナカに入った時の感覚はどうったんだろう
ちんちんが興奮していることを自覚する時の気持ちは?
自分のちんちんで相手が喘いでいるのを見てどう思うのか?
セックスしていて、どんな気持ちになるのか?
それらを考えまくる。
なぜ欲情するのか、なぜ性行為をしたいと思うのか
なぜ?なに?どうして?を自問自答しまくり
私の中にいる自カプに問いかけるのだった。
それを明確な言語化にする必要はないのかもしれない。
描写の中に織り交ぜることで、バックグラウンドが出来上がる。
えっちなこと、不健全で不真面目なものにこそ
真面目にシリアスに取り組んでいるのです。
ふざけているからこそ、全力で行う。
それでこそ大人の遊びです。